こんにちは、バイヤーの岡林です。
この電車を見てピンときた方は、かなりの鉄道エンスーと言えます。
私は高知駅の4番ホームで、土佐くろしお鉄道阿佐線(通称:ごめん・なはり線)の電車を待っていました。電車に描かれたキャラクターたちは、高知が生んだ偉大な漫画家、やなせたかしさんの作品です。生まれも育ちも高知の私ですが、この路線は約10年前に開通し、今回初めて乗りました。1両編成のワンマン電車、好事家にはたまりません。
高知駅を発車して、とめどなく目に飛び込んでくる牧歌的な車窓風景を楽しむこと30分。野市駅で下車。そして、歩くことおよそ10分で、目的地に到着したのであります。
前車は世界で3台しか製造されていないうちの1台。LMはル・マンの略で、アバルトが市販車でル・マンレース出場のために用意した車両。後車は、乾燥重量595キロ、1946ccで250馬力をたたき出し、最高速度270キロ。1968年、69年にはヒルクライムやオープンロードなど、出るレース全てでクラス優勝を成し遂げ、当時ヨーロッパのメークレースで最強の名を欲しいままにしました。
「ALFA ROMEO Giulia TZ1(1965年式)」ジュリエッタというモデルがありますが、ジュリアはそのお姉さんとして(の位置づけ)で命名された名車。ザガートによるボディーラインは、女性のようにリズミカルで美しい。しかし、当時のレースではFerrariより優勝確率が高いとされ、その走りにも人々を魅了したのであります。
これはようやく対面できた車両「BMW M1」です。このカラーリングは今でもMシリーズのシンボルロゴとなっていますね。バイクでもGSシリーズでありました。デザインはジウジアロウ、開発にはランボルギーニ-社も加わったようです。3453ccのミッドシップマウント。左横に見えるカウンタックLP400に引け劣らない存在感でした。
実は、Motorimodaにてこのカラーリングのヘルメット(RUBY)を今春、期間限定発売する予定ですのでお楽しみに。
ここからは往年のラリーレースでは名門の「ランチア」です。
「LANCIA STRATO'S」。ランチア社は、WRCで優勝するためにBERTONE(ベルトーネ)社と協力して、世に送り出したのがこのストラトス。1972年に参戦すると74年、75年、76年と3年連続メイクタイトルを取得。私なんかは、アリタリア航空のカラーリングが重なって見えてしまいます。
そして、ランチアはWRCでさらなる躍進を遂げます。
「LANCIA RALLY 037 WORKS」。未舗装の道をひた走るラリーにおいて、AUDIがクワトロを投入するなどして4WDがその優位性を持ちつつありましたが、ランチアは敢えてリアドライブの2WDで参戦。マシン設計はアバルト、カーデザインはピニン・ファリーナが担当。Martini Racingのカラーリングが実にはえますね。
そして2WD VS 4WDの戦いは、1983年のWRCでランチアに軍配が上がりました。しかしその後は、技術改良の進んだ4WDに追い込まれていくのです。
そして、ランチアは4WDの開発に着手。そこで完成したのが、「LANCIA DELTA S4」。見た目は、コンパクトなランチア・デルタがベースですが、中身はえげつないくらいのモンスターマシン。当時のWRCグループBというカテゴリには、暴力的なマシンが勢ぞろい。その危険性が高すぎて消滅したという、今となっては幻のカテゴリーです。よって、このS4は1986年の1年しか活躍しませんでしたが、その記憶は今でも多くの人々に残ります。
じっくり見てきたので、後日後編もアップしたいと思います。
バイクもご紹介したいので、ご興味あればまたお付き合い下さい。
とりあえず、おしまい。